にゃんこと介護と子育てと病気と仕事といろいろと…

猫二匹と三兄弟、夫と認知症の義母と同居中な障碍者保育士

義母の話し…同居初期   次男出産の日

書きたいことの一つ

介護

について・・・

よく、子育ての手が離れると、介護がやってくる、なんて言いますが、まさしく我が家がその状況であります

とりあえず、どんな人だったか・・・

 

もともと義母は

ちょっとっ曲者、変り者…見栄っ張りでせっかちでマイナス思考

人の不幸をネタに笑ったり揶揄したりが楽しい噂話好き…

良いことがあっても「でも・・・」とマイナス言って味噌つける😞

 

いいところは

気前がいいときはばーんと出す

几帳面、掃除と洗濯は好き(調理は嫌い)

 

そんな義母と持ち家購入を機に同居することになったのは長男2歳

次男がおなかの中にいた頃です…今からだいたい18年前!

 

母一人、子一人なんで、いずれあるかなと思っていたので

楽天的な私は、まぁいっか!なんとかなるでしょ~と受け入れた

3階建て狭小住宅

…1Fに風呂トイレ洗面、義母の部屋

 2Fにリビングとキッチン

 3F子供部屋、夫婦の寝室

お互いに、すごい気を使って生活してたな~

私はこの病気もあって仕事はいったんやめて

けど長男は保育園に入れたので二人で家にいることも多く

気を使いあって家のことを分担していたと思う。

 

2001年1月末に同居を始めて半年過ぎた頃・・・

それは やってきました

8月の初旬に帰省して戻ってからというもの

声をかけても自室から出てこない。

夕食や昼食に誘っても「私もう済ましたからいいわ」と声のみ

私が不在中(保育園の送迎や買い物中)

リビングやベランダに来ている様子・・・

使った食器は洗って置いてある・・・

声をかけると、返事はかえってくる

けど 出てこない 顔合わせない・・・

そんな毎日が続きました

臨月になりつつあった私的に

これは非常にストレスです

けど言いたいことあるんなら言ってくれ~!!

心の中で叫ぶしかできませんでした      

夫は忙しく、ほぼ終電。

「ほっとけばいい」しか言わないし

悶々と過ごす日々…

 

そんな態度は一か月を過ぎる頃に

破 水

予定日が近かったし、長男も破水から始まったので落ち着いていました

土曜日で保育園はお休み、長男は家にいました

連れてはいけないので、

天岩戸を開けて長男を義母に預けるしかありません…

 

「すみません、破水したので病院行ってきます

 長男をお願いしたいのですが」

 

さすがに出てきた義母、ろくに話もせず

お願いしますね、と一人荷物を抱え

タクシーを呼んで病院へ向かったのでした

 

翌日は日曜日

夫も家にいるので、陣痛来たら病院に来てね、電話するからね

と夜のうちに話してありました

朝、再び電話…昼頃にはきてね、連絡つくようにしててねと電話

10時ころ、痛みが強くなってきたので電話…

ところが

全然 つながらない

すっごいイライラMAX!痛み倍増!!

それ以降、何度かけてもつながらない

連絡つながらないまま

分娩室へ・・・もちろんまだ来ない・・・

あの時のイライラは、ホントにホントにおなかの中にいた次男に申し訳ないなぁって今でも思います。けど、どうしようもできなかった。優しい子に育ってて良かった…

もう、あの痛みはどーしようもない!

一人で必死に痛みに耐え、

無事に出産しましたよ

ホッと安心したと同時に、

父ちゃんなにやってんだよ!って悲しくなったよね

 

そして、産後のケアあれこれも終わって病室に戻た頃

の~んきに

「あれ~もう産まれたの?」

 

・・・

ばーかばーかばーか ふざけんじゃねーぞーーー

夫と義母、長男をつれて登場

連絡つかなかったうえ、遅くなった理由は

家にケータイ忘れ、朝食込みの昼飯食ってから行こ~ってなってファミレス寄ったらメッチャ混んでてこの時間

ばーかばーかばーか

一回病院に顔出せよってんだわ!

 

次男の臨月期から出産まで、ほんとにひどい精神状態だったなぁ

しかも2001年の9月ですよ

TVをつけると911の暗い話題ばかり…

忘れられません

 

退院して家に帰ると、天岩戸は跡形もなく無くなり

普通にリビングに来て一緒に過ごしたりお茶飲んだり

次男や長男の相手したりする義母になってましたわ

 

  義母は我が子が進学で家を出てから25年以上一人で暮らしてきた人だったので、

  他人と暮らすストレスがきつかったのかな~と思ったりします

  けど、その表現が引きこもりって(…当時の義母は63歳です)

 

ま、いっか!

 

そんな義母です

 

・・・ではまた~