にゃんこと介護と子育てと病気と仕事といろいろと…

猫二匹と三兄弟、夫と認知症の義母と同居中な障碍者保育士

僧房弁閉鎖不全 弁置換手術後④~リハビリ~

術後6日目、リハビリは4周、異常なし

そして術後一週間です

朝一番に傷の上を覆っていたクリアなカバーシールみたいなやつ

ぺりぺり~っと

すべて綺麗に剥がされましたぁ!

おぅ!傷は思ったより綺麗。

右胸の下、右足の付け根、胸のど真ん中の3か所です

点滴の針も抜けました💗

エコノミー症候群予防で履かされていた圧迫ソックスも脱いでよし

 

そしてシャワー浴OK~!

傷を洗うのはドキドキでしたが

泡で手でやさしくフワフワ

時間いっぱい使ってスッキリさっぱりしました

感覚的にこわいですが 痛くはない 固い

 

シャワー前後の血圧測定も問題なし

 

夕方は調子に乗って!?6周歩きました

 

翌日、術後8日目

朝ごはん前に歩いておこう♪

って歩き出したら、あれ?

一周歩いたぐらいでふくらはぎに違和感が・・・

2周目歩きながら笑いだしそうになった…

心臓は何ともないので、ゆっくり3周目歩いて戻る

これは懐かしい

筋 肉 痛 でした・・・

こんな数日歩かなかったからって

ちょこっと歩いたからってなるんだね

 リハビリの先生に話すと、

歩く前に軽いストレッチをしましょう

と、おしえてもらいました

けど

午後も 3周目くらいで筋肉痛ビリビリ~

リハビリの目標は、今週中に10周歩いて

外に行くこと!

順調にいきますように!

 

 

・・・ではまた 次に

 

義母の話し…同居初期   次男出産の日

書きたいことの一つ

介護

について・・・

よく、子育ての手が離れると、介護がやってくる、なんて言いますが、まさしく我が家がその状況であります

とりあえず、どんな人だったか・・・

 

もともと義母は

ちょっとっ曲者、変り者…見栄っ張りでせっかちでマイナス思考

人の不幸をネタに笑ったり揶揄したりが楽しい噂話好き…

良いことがあっても「でも・・・」とマイナス言って味噌つける😞

 

いいところは

気前がいいときはばーんと出す

几帳面、掃除と洗濯は好き(調理は嫌い)

 

そんな義母と持ち家購入を機に同居することになったのは長男2歳

次男がおなかの中にいた頃です…今からだいたい18年前!

 

母一人、子一人なんで、いずれあるかなと思っていたので

楽天的な私は、まぁいっか!なんとかなるでしょ~と受け入れた

3階建て狭小住宅

…1Fに風呂トイレ洗面、義母の部屋

 2Fにリビングとキッチン

 3F子供部屋、夫婦の寝室

お互いに、すごい気を使って生活してたな~

私はこの病気もあって仕事はいったんやめて

けど長男は保育園に入れたので二人で家にいることも多く

気を使いあって家のことを分担していたと思う。

 

2001年1月末に同居を始めて半年過ぎた頃・・・

それは やってきました

8月の初旬に帰省して戻ってからというもの

声をかけても自室から出てこない。

夕食や昼食に誘っても「私もう済ましたからいいわ」と声のみ

私が不在中(保育園の送迎や買い物中)

リビングやベランダに来ている様子・・・

使った食器は洗って置いてある・・・

声をかけると、返事はかえってくる

けど 出てこない 顔合わせない・・・

そんな毎日が続きました

臨月になりつつあった私的に

これは非常にストレスです

けど言いたいことあるんなら言ってくれ~!!

心の中で叫ぶしかできませんでした      

夫は忙しく、ほぼ終電。

「ほっとけばいい」しか言わないし

悶々と過ごす日々…

 

そんな態度は一か月を過ぎる頃に

破 水

予定日が近かったし、長男も破水から始まったので落ち着いていました

土曜日で保育園はお休み、長男は家にいました

連れてはいけないので、

天岩戸を開けて長男を義母に預けるしかありません…

 

「すみません、破水したので病院行ってきます

 長男をお願いしたいのですが」

 

さすがに出てきた義母、ろくに話もせず

お願いしますね、と一人荷物を抱え

タクシーを呼んで病院へ向かったのでした

 

翌日は日曜日

夫も家にいるので、陣痛来たら病院に来てね、電話するからね

と夜のうちに話してありました

朝、再び電話…昼頃にはきてね、連絡つくようにしててねと電話

10時ころ、痛みが強くなってきたので電話…

ところが

全然 つながらない

すっごいイライラMAX!痛み倍増!!

それ以降、何度かけてもつながらない

連絡つながらないまま

分娩室へ・・・もちろんまだ来ない・・・

あの時のイライラは、ホントにホントにおなかの中にいた次男に申し訳ないなぁって今でも思います。けど、どうしようもできなかった。優しい子に育ってて良かった…

もう、あの痛みはどーしようもない!

一人で必死に痛みに耐え、

無事に出産しましたよ

ホッと安心したと同時に、

父ちゃんなにやってんだよ!って悲しくなったよね

 

そして、産後のケアあれこれも終わって病室に戻た頃

の~んきに

「あれ~もう産まれたの?」

 

・・・

ばーかばーかばーか ふざけんじゃねーぞーーー

夫と義母、長男をつれて登場

連絡つかなかったうえ、遅くなった理由は

家にケータイ忘れ、朝食込みの昼飯食ってから行こ~ってなってファミレス寄ったらメッチャ混んでてこの時間

ばーかばーかばーか

一回病院に顔出せよってんだわ!

 

次男の臨月期から出産まで、ほんとにひどい精神状態だったなぁ

しかも2001年の9月ですよ

TVをつけると911の暗い話題ばかり…

忘れられません

 

退院して家に帰ると、天岩戸は跡形もなく無くなり

普通にリビングに来て一緒に過ごしたりお茶飲んだり

次男や長男の相手したりする義母になってましたわ

 

  義母は我が子が進学で家を出てから25年以上一人で暮らしてきた人だったので、

  他人と暮らすストレスがきつかったのかな~と思ったりします

  けど、その表現が引きこもりって(…当時の義母は63歳です)

 

ま、いっか!

 

そんな義母です

 

・・・ではまた~

ひとやすみ 待つにゃんこ

うちには二匹の保護猫ちゃんがいます

 

一年先輩のぽんず姉さん

 

彼女は一年後輩のたび君を

 

いまひとつ受け入れられず

 

微妙な距離を保っています

 

ぽんず→末っ子

たび→わたし

という関係

 

その他の家族はいてもいなくてもにゃんずの興味の外

長男・・・ちょっと怖いけど抱っこして撫でてくれる人

次男・・・一番下っ端、気安く触るんじゃないよ

夫・・・かわいくするとご飯くれる人

義母・・・大きい声で驚かすけど興味ないし怖くない

 

私が入院で不在、帰ってこないと不安になったたび君

私のベッドでおもらしする…😞

予測して防水シーツを被せてあったが

選択乾燥中の無防備なところに再度…😞

そして帰ってくるのを玄関前の階段で待ち伏せするか

隠れて拗ねて寝ているらしい・・・

 

ぽんずも私がいないことに気が付いて

探すように鳴いていたとのことだが

頼りの末っ子がいるから安心してた…

末っ子、9日~四泊五日の部活の合宿へ!

 

二匹で階段で待っているらしい・・・

ご飯や水はちゃんと食べてるようだし

おトイレも掃除してくれてるようなので

大丈夫だとは思うけど

きっとさみしいよね、

私もさみしいよ~

早く会いたいなぁ

階段にゃんこ ぽんず…爆睡中(笑)

 

僧房弁閉鎖不全 弁置換手術後③~リハビリ~

全身麻酔から目が覚めて

痛みは強烈な薬のおかげでほぼ感じることなく…

苦しかったのは

 でした

経験者はわかると思いますが

全身麻酔の後はとにかく痰が出る、出さないといけない

ちなみに喫煙者はもっとすっごくすっごく大変らしいんで

タバコ吸ったこと全くなくってもこんなきついのに!

絶対タバコなんて吸わないわい!と改めて思った

しかも、この強烈な痛み止めが体質にあわなかたらしく

咳き込んだり痰が上がってきたりすると

そのまま吐き気につながり くっっそ気持ち悪くなって

嘔吐・・・手術前日の夕飯以降何も食べていないので

胃の中はカラッポで吐くモノがないのにこみあげてくる吐き気

すんごい 苦しい きつかった…

 

痛み止めを変えてもらって 吐き気も収まり

水分をとっても良い許可が出て痰も出るようになって

 

すごく ホッとしました

 

術後、少しずつリハビリが始まります。

25年前はいきなりICUに出戻った事もあって、めちゃくちゃ安静期間が長くなっちゃった記憶がありますが、ここは?今は?なのか早い早い!

もちろん無理のない範囲で心電図や血圧等チェックしながら進めていきます

手術前に担当の理学療法士さんがご挨拶に来てくれて、あらかめ進め方は知らせられていました

 

1.手術翌日

 呼吸器の外れた夕方かな?(この日の記憶は曖昧です)リハの先生がICUに来られて私の状態を確認、腕とか肩とかほぐしてくれてから、立ってみる

薬がガッツリ効いてるから痛みは無くて、ちょっと怠い感じだけで立てる

それで終了

立っただけなのにすごい疲れた!そして吐き気との闘い

 

2.術後2日目

 昨日と同じ流れで立ってみる、それから足踏みする

 グラグラしないし心臓もドキドキしない(^^)

 両腕をあげられるとこまで上げたり片腕ずつ上げたりもした

 

3.術後3日目

 この日午後一般の病室に移動

 昨日までの流れの後、血圧や心電図他チェックしつつ 

  歩 く

術後三日目で歩けるんだ💗歩いていいんだ💗ちょっと感激!

ゆっくりですが病院内廊下一周約50m歩きました。

4.術後4日目

 この日は、午前中に50m×2周、

      午後に50m×4周!=200m歩きました 

5.術後5日目

一日一周ずつ増やしていきましょうということで

5周歩きました!!確実にステップアップ!

この後、10周歩いて大丈夫だったら階段にチャレンジ、

階段をクリアしたら・・・外へ!(暑い時期なので夕方ね)

 

ちょうど明日で術後一週間、山の日の祝日なのでリハビリの先生はお休み・・・火曜日には階段にチャレンジできるかも!?

 

無理せずボチボチ頑張りますが

私の本来の日常が忙しすぎるので

戻れるのか!?ちょっと不安です・・・

 

・・・では、また

僧房弁閉鎖不全 弁置換手術後②

今回の私の手術は

弁膜症の手術としてはレアケースでした

医師には何度も

「25年前に弁形成してここまでもったの!?

 ほんとになんともなかったの!?」

・・・出産したりなんだりで不整脈あった時期もありましたが

基本的にほぼ2年ほど前までは重篤になるようなことは何もなし!

弱めの薬を飲み始めたのも3年ぐらい前で「気休め」程度

 

元が丈夫なのか!?

それはなぞ(笑)

 

今回、あちこち管だらけだったので

思い出してみた管の数々

 

足の付け根の大動脈

人工呼吸器

腹部ドレーン

頸部静脈

鼻から酸素吸入

尿排泄用

ペースメーカー

8点滴の針

9心電図モニター

 

上から順番に取れて、今8と9だけになりました

5日目にして結構身軽です!

 ・・・写真撮ってみたけキモくて無理でした

 

・・・では 続きはまた今度♬

生きてます~ 僧房弁弁置換手術後①

お久しぶりです

生きてました

死ぬかと思いました

 

8月5日に(月)の13時に手術室に入り

予定では17時…だったのが終わったのは20時過ぎでした。

執刀した先生方が口をそろえて

「難しかったよ!」

「大変だったよ!」

予想以上に手間がかかったようです

以前の手術跡が癒着していてはがすのが大変だろうとは言っていたのです

脇のほうからアタックしても

癒着に阻まれて僧房弁は見えず

結局正中切開するも

骨にがっつり血管やら心臓やらみーんなで癒着

はがすのに2時間半かかったらしい

そして

僧房弁…25年前の形成した弁は固く狭くなって

弁に当てたリングもちょこっと外れかけ

血流を妨げる原因になっていた模様

この丸いのがリング 横の三角なのは弁

 

先生方 面倒な手術を頑張ってくれて

本当にありがとう!!

感謝しかありません。

翌日の多分昼には目が覚めました

手術室に入って「眠くなりますよ。。。」と記憶が途切れ

目が覚める直前・・・

どわ~~~!!!っと沢山の映像がものすごいスピードで目の前に現れてました

映像というよりも切り取られた場面?ぐるぐるぐるぐる~~!!っと一枚一枚が何んなのかわからないようなスピード感

そのぐるぐるを見ながら

あら~ 私死んじゃった?って思ってたら

名前を呼ばれて

パチン!と映像が切れて

目が覚めたのでした

呼吸器やらドレーンやら管だらけで

なんとか生きていたわけです

 

 

・・・続きは また次

病気のこと…僧房弁閉鎖不全 手術

当時、誕生日が来れば23歳になる春でした

 

入院前に二度ほど通院して

自己血輸血のための採血をしました

手術中に輸血が必要になる可能性が高いので

予め自分の血をとっておくのです

 

僧房弁閉鎖不全の手術には二通りの処置があります

弁形成…自分の弁をそのまま生かしてチクチクっと修正する

メリット

・異物が入らないので術後しばらくしたらワーファリンなどの投薬が不要になる

・女性の場合、妊娠出産が可能である

デメリット

・いずれ再手術になる可能性が高い

・再手術の場合、リスクが大きくなる

 

弁置換…弁そのものを人工弁または生体弁に取り換えちゃう

メリット

・人工弁の場合はほぼ交換不要、再手術の可能性は低い

デメリット

・生涯にわたってワーファリンの服用、管理が必要

※実は生体弁の場合は①の弁形成と同じメリットデメリットになります

 

わたくし、若かったので妊娠出産を考えて

なるべく弁形成か最悪生体弁への交換という選択肢で手術する方針でした

 

 

手術はもちろん全身麻酔

手術室に入り

医師が数字を数えるよ~1…で意識が途切れ

気が付くと集中治療室にいました

声をかけられるも呼吸器が入ってて答えられない状態でウトウト・・・呼吸器をガバッと外されてうげぇ~ってなって、のどはヒリヒリカラカラで思うように喋れなかったのを覚えています

 

「弁形成できましたよ、傷口も綺麗に縫えましたよ」

医師がとても嬉しそうに言ってくれたのが印象的でした。

 

集中治療室に一泊して、翌日には一般の部屋へ移動。

普通食の昼食が出されました

起き上がれないので、おにぎりになってたんですが

それを食べようとしたタイミングで

 

   真っ白

 

 

・・・気が付くと再び集中治療室でした

術後は脈が不安定になることがあり、

どうやら心不全状態、脈が遅~くなったらしい

目覚めて、めっちゃ怖かったです

手術前後よりも怖かった!

 

出戻りで集中治療室に2泊ほどした後は

かなりゆっくりペースでリハビリを進め

その後は順調、ゴールデンウィーク前頃には退院することができたのでした

 

 

6人部屋で過ごした日々

両足の巻き爪の手術で入院してたおばあさんがお喋りで、冗談ばっかり(下ネタ6割)言うんで、心臓手術後のメンバーは笑って笑って傷が痛くてしょうがなかった(笑)

 

カテーテル検査で隣のベッドに入院したおばあさんは

検査の後出血が止まらず、お亡くなりになった…

とても凛とした素敵な方でした

 

今の私くらいの歳の方、「退院したらラーメン食べたいわ~!!」が口癖だったなぁ

 

楽しい病室だったなぁ

 

 

病気で実感したこと

感謝の気持ちでいっぱいになります

食べられることも 喋れることも 歩けることも

すべてのことに感謝です

生きている奇跡にありがとうです

一日、一日がより大切になります

 

さて

そして

これから間もなく

二度目の手術に向かいます

前回よりたくさんのリスクの説明を受けました

前回より失いたくないものがたくさん増えました

前回より心は強くなってるよ

 

大好きな人に、

大好きな仕事に、

大好きな世界に

また戻ってこれるよう

頑張ってきます

 

 

・・・続きは、数日後

・・・起き上がれるようになったらかな?!