にゃんこと介護と子育てと病気と仕事といろいろと…

猫二匹と三兄弟、夫と認知症の義母と同居中な障碍者保育士

認知症 進むよ~③ 介護認定まで

義母が転んで救急車騒ぎになったのが

2015年1月の末頃

私がストレスと疲労でダウン・入院したのが

2015年4月の末

 

時々義母が「ちょっと腰が痛い」

と言い始めたのが4月になるころだったと思います

…ちなみに本人曰く 3月にも一回転んだらしい

 

 

ところで

医者にかかるとなると必要なのは

後期高齢者医療証」

高齢者用の健康保険証みたいなものです

実はこの救急車騒ぎのちょっと前に

この医療証の納付を

14か月分滞納していたことが発覚します

わかったきっかけは

「この手紙 なんかよくわからんのだけど…お金もらえるの?」

 

手紙のだいたいの内容・・・

生命保険会社の保険料滞納につき保険が失効しました

このため未納保険料を貯蓄分から差し引きし、残りの貯蓄は返金になります

手続きをお願いします

 

というものでした・・・わお・・・同じ内容で2通来てるし

他にも手紙来てるんじゃない?見てみようか?

そして出てきたのが

医療証14か月分・固定資産税1年分

でした・・・

 

認知症初期のご家族がいらっしゃる方

税金等の管理、早めに気にかけてくださいね

 

生命保険は

65歳以上への支払いは全て半額という内容もあったので即解約

その返金分で、滞納していた税金類を支払って何とかなりました

 

それ以来、郵便物を義母が勝手に取り出さないよう

ポストのカギは忘れずにかけるように家族で約束しました

 

 

話しが戻ります

義母が腰痛を訴える頻度が増してきたので

これは病院に連れていくチャンス!

病院嫌いで歯科もロクにいかず、ほぼ入れ歯になってるような人です

以前、相談だけ(私一人で)行ったことがあって

【ものわすれ外来】と看板に明記してある内科医院でした

 

私が退院して間もなく、5月中旬頃に最初の受診をしました

最初 にこやかに話をしていた義母ですが

途中、何かに気づいたらしく、警戒し、落ち着かなくなりました

けれども さすが専門の先生です

上手に穏やかにお話しして 長谷川式認知症診断をしました

改めて、季節や年月日、時間等はほぼ答えられず

短期記憶も半分くらいしか覚えていない

なのに 簡単な計算は全問正解(^^;

点数は30点満点の 15点 でした

20点以下は認知症と診断とのこと… だよね~

「なに!あの先生!なんであんなこと聞くの!」

と怒っておりました

 

さて、こうなったら行動あるのみ!

地域包括センタ―でいただいた資料を元に

近所にある介護支援事業所に直接電話して相談

早速スケジュール調整して面談に来てくれました

その時いらっしゃったのがケアマネ・Kさん

今も とってもお世話になっております。

 

ケアマネさんにたくさん話を聞いてもらい

義母にも会ってもらいました

「介護認定を受けましょう」

認知症が加速して進まないようにするためにも、

他者とコミュニケーションするようにしないと

要支援ではなく、【要介護】の認定が取れると思います

 

その事業所さん、ケアマネさんと契約し

義母の性格や行動に合った施設を探してもらうことになりました

介護認定がおりていなくても、

【仮】の状態で介護サービスを利用できるそうです

 

こうして

なんとか

話しが形になってきた6月の中旬

義母

「腰の痛みがどうにも我慢できない!!」

と言い出したのでした

 

・・・続きは また次に

認知症 進むよ~② きっかけのひとつ

義母が転んで血だらけ!

次男からの電話でした

 

状況を聞くと、
外から帰ってきた義母が玄関でうずくまってる
見ると顔や手が血だらけで「痛っっい~!」とうなってる
びっくりして、とりあえず私の職場に電話したとのこと

頭から血が出てるというので万が一を考え
次男に救急車を呼ぶように指示して、職場に訳を話してすぐに早退

 

家に着くと ちょうど救急車が到着していた

(職場が近くでヨカッタ)

いやだわ!と救急車に乗るのをためらっているのを

一緒に行くから、大丈夫だよ~と付き添って

結局歩いて5分の大学病院の救急へ搬送されました

 

顔や手、腕の擦り傷打撲を処置してもらい

頭を打っているから念のため頭部CTを撮り、

結果、まず大丈夫だろうということで帰宅しました

 

いったい

なんで

こんなことになった?

 

出かけた末っ子が忘れ物をした!と思って追いかけたら

家からちょっと行ったところで走って

足がもつれて転んだ。

派手に転んで痛くてしばらく起き上がれなかったけど

誰も通らないし 動けるようになったから帰った

なんとか帰り着いたけど、痛くて玄関で座り込んだ

 

ということでした・・・

走るなよ!

しかも、忘れ物は勝手な思い込みでした

 

このまだらボケ初期状態で

骨折したら!と思うとゾッとしました

 

 

この時は

擦り傷と打撲だけ

だったはずなのですが・・・

 

 

・・・続きは また・・・

僧房弁閉鎖不全 弁置換手術後⑦ ~リハビリ~ 

術後 11日目

リハビリで夕方16時に

病院の周囲を歩きました~

 

二週間ぶりの外気は

台風の影響もあってか

濃い空気と湿度、強風~!!

たった20分ほど

日陰を選んで歩いたのに

 

途中でふくらはぎは痛いし

靴が重たく感じて上がらないし・・・

心電図や脈拍は異状ないのに…

 

身体が完全になまってました

グダグダと夕食時間まで横になりました

 

さて

実は

術後10日目の夕方

午後から怠いな~と思っていたら

38度の発熱がありました

その朝から痛みがあまりないので鎮痛剤を飲んでいなかった

それでか???

「体に異物が入っているんだからあることだよ」と主治医

翌朝には解熱しているのですが

11日目も夕方発熱、そして12日目も夕方38度

にゃーん

「今週退院の準備しようね~ この発熱が起きなくならないとね」

とのことです

予定の入院期間、三週間で退院できるといいな!!

 

・・・また 次で

 

 

 

認知症 進むよ~① で、ストレスと疲労で倒れた

義母が ちょっとずつまだらボケ感が増してきた事に合わせて

自分の再手術問題や子どもたちの進学進級のタイミング

いろいろと考えて、自転車15分の職場から

さらにご近所…

自転車5分、歩いても10分かからない職場に転職しました

 

そのころ、ほぼ毎日「散歩」と言っては徘徊する義母

帰ってきては出かけ、迷ってもなんとか帰り着き…

「ちょっと違うとこ曲がったらわからんくなって…」

半日ウロウロし、それでも暗くなってからも

「散歩行く」と町内一周(;´Д`)

イザというときに即対応できる近さに転職できてヨカッタ

 

介護職の友達に相談したり

相談窓口のパンフをもらったりはしていて、

自分の環境が落ち着いたら役所に行くぞ~という矢先

 

私がダウンしました💦

新しい職場の人間関係のストレスと疲労が重なり

ちょうどゴールデンウィーク前だったなぁ

怠いと思った朝、38.5度の発熱…熱以外の症状がなかったので

カロナール飲んで出勤するも昼前に39度に上がる…

(近所の医院に行くが“おなかの風邪”でしょうで終わる)

その日熱下がらず、翌日も下がらず

心臓のかかりつけの大学病院に相談するも

「薬があるなら飲んで様子見てください」

すでに様子見てます、十分見てます…と言う気力なく電話を切る…

39.2度になってるし、丸三日高熱

限 界

夫は職場遠く、連絡してすぐ出てくれたが待っていられず

自分で救急車呼びました。

義母「タクシーで行きゃいいのに」…ばーかばーか!

 

この時、搬送に来た救急隊員に

「ちょっと!私も腰痛いんだけど!!」と言い出した義母

おかげで出られるタイミングで出発せず時間かかった

朦朧とする中、義母終わってるわ~!!!

 

結局 一週間入院

腸炎でした…

 

この騒動の中、やっぱり非常識でおかしな言動の義母

ゆっくり一週間の休養後、

地域包括センターへ相談に出向きました

 

 

そしてちょっと前後しますが

私が倒れた3か月ほど前にあった出来事です

 

夕方 私の職場へ 次男から電話

「ばあちゃんが転んだ。血だらけだよ」

うひゃ~!!!きた~~~!!!

 

 

 

・・・・続きは また次で

 

 

 

認知症の始まりは…

癌より怖い認知症

私はそう思っています

癌で闘病されている方が不快に思ったらごめんなさい

もしも神様に

癌になるか認知症になるかって言われたら

癌を選びます。そのくらい怖いです。

 

同居の義母が、ちょっとおかしいなと感じ始めたのは

彼女が75歳の頃…約5年ほど前です

 

当時、保育士5年目の私、チャリで15分の職場、

2歳児クラス担任でリーダーで楽しく仕事していた。

長男(高校受験)と次男(中学受験)のW受験を乗り越えた春だった

 

元々変り者な意地悪発言の多い義母なので

当時は「またかよ!」って思って兆しには感じなかった

振り返れば この頃の言動がスタート地点です

 

①話したことを忘れる

…「〇〇に行ってくるね」と伝えても「どこ行ってたの!」「聞いてない!」

②時間の感覚がおかしい

…夕方四時過ぎに用事を済まして帰ると「遅い!」「もう夕飯の時間だ!」

③ご飯を水を入れずに炊く、出汁が入ってない味噌汁を作る

…ご飯と汁の準備だけは毎日お願いしてたが、ちゃんと作れなくなる日が増えていく

④自室にこもる時間が増えていく

⑤散歩に出て道が分からなくなり2~3時間帰ってこない

⑥鍋を焦がす

 

③をするようになって、あれれなんかやばくないか…

火事になったら大変だわと、ご飯も味噌汁も、

「やらなくてよい」(やらないで!)とするが

⑥鍋焦がしちゃうし・・・ガスの元栓を閉めるようにしました

電気ポッドにタップリお湯が沸いていたらなんとでもなるし

 

 

そんな5年前の春

 

夫が夜中に腹痛を訴え治まらず、

夜間外来に行くと緊急手術の必要な

虫垂炎の診断で入院

 

翌朝、義母にそのことを伝えると

「盲腸なんか、いやしー(卑しい)でなるんだわ!」

まぁそういう事を言う人ですわよ

たたみかけるように

「おいしいもんばっかり食ってるでなるんだわ!」

・・・我が子が緊急入院して手術した朝に言う言葉か!?

 

元々こんな感じの人なんで、①、②の段階ではきがつかないよね

 

 

こんな状態がじわ~りじわりとまだらに増えて

 

1年が過ぎました

 

・・・続きは また次に

 

 

 

術後10日経過しました! 弁置換手術後⑥

いやぁ

あれから10日もたったのですね。

人間ってたくましい

・・・つらかったことは

忘れます

忘れなくっちゃ生きてらんない

 

忘れないうちに不思議だったことのひとつを書いておこう

 

 

術後4日目くらいまで

 

目をつぶると

極彩色の動画が見える!

そんな現象がありました

 

目をつむっているはずなのに

次々と画像が動画が色鮮やかに

それこそ4Kか8Kかっ!?

ってくらい鮮やかに見える

どんなものがみえていたかというと

動物だったり景色だったり日常にあふれる品々だったり

受験生時代に描いたポスターカラーで彩色した平面構成みたいなのだったり

人の顔だったり・・・

それらががうねってうごいて変化してくんですよ~

瞼の裏にシアターがあるみたい

 

あれって

なんだったんだろう・・・

気が付くと

瞼を閉じると暗い、当たり前の状態になってた

 

人間って 不思議ですね

 

 

 

リハビリも順調に進み、本日は10周!500m歩きました

血圧等も異常なし

明日は、夕方。。。外に出ます。

二週間ぶりの外気。。。まだ暑いんでしょうね

 

 

   ・・・では また 次回!

僧房弁閉鎖不全 弁置換手術後⑤ ~リハビリ~

手術後9日目です

筋肉痛も治まり、順調にリハビリすすんでます

今日は…50m×8周!400m歩きました

 

腕を振って歩くと傷が痛いので

後ろに手を組んで

…ちょっとおばあさん歩きになっちゃう

 

傷が痛いといえば、

濡れた髪を拭く動作が意外と痛い(>_<)

もちろん

笑うのも響く!

 

 

痛いことの他に

戻らないことが

味 覚

すごっく苦みを強く感じます

特に甘いはずのものが全て苦い

ここ数日でだいぶましになりましたが

もらい物のお菓子も苦い・・・

人によって1か月くらいで戻る人もいれば、

2~3か月かかる人もいるらしいです

 

ところで

人工弁にしてしまうと、

一生「血液をサラサラにする薬」ワーファリンを飲むことになります

人工弁を異物と判断した血液が凝固してしまい、血栓ができてしまうからです

そして

この薬を飲むと食べられなくなる食品があります

それが

納 豆

・・・納豆 大好き・・・

納豆には多量のビタミンKが含まれていて、

それが薬の効き目をなくしてしまうんですって…

知っていたことなので

手術を考え出した頃から

普段以上に納豆めっちゃ食べました!

が、やっぱり食べられなくなってしまったのは

すごく悲しいです・・・

     ※他に、青汁、クロレラもダメ。ビタミンKの多い緑の濃い野菜も適量で

 

そういうわけで

死ぬ前に食べたいものは?

あつあつご飯に たっぷり納豆!

に決定しました

 

・・・ではまた~